秋の味覚part2

 今日も今日とて、我が家では頭の黒いネズミがリンゴをかじっていたようです。

 さて、昨晩は家族みんなで私の実家で過ごしました。と、申しますのも、母が栗を大量に購入したのです。

母「今度、栗ご飯しようと思うんだけど、あんたたち…」

私「きます!栗の皮は剥くよー!栗ご飯食べるよ!」

そんなやり取りがありました。今年は栗ご飯が食べられる!それだけでなぜかニヤニヤが止まりません。私の好きなラジオで栗ご飯について話し、実際に食べていたからでしょうか。ともあれ、今シーズンはどうしても栗ご飯が食べたかったのです。

 しかし、買ってきた栗ご飯や栗おこわは、間違いなくおいしい。でも、なんか違うんです。プロの味より家庭の味というか、炊き立てを存分に食べたいというか…ともあれ、なんか違うんです。しかし、自分で作るとなるとハードルが高い。そもそも、食べたいけど作り方を知らないのです。何が必要なのかもわからない。

 そんな時に、まさに渡りに船と実家の栗ご飯をご相伴させていただくことになりました。もちろん何もせずに食べるわけではありません。子どもの世話を妻にまかせ、私は栗むきにいそしみました。

 でも、よく考えると、私栗ご飯好きじゃなかったんですよね。高校生の時とか、母が栗ご飯を作ると「普通のご飯がいい」と言っていたことを思い出します。「労力のわりによろこばれない」それが栗ご飯。そんなイメージはいまだにあります。

 しかし、そんな私が今、母のと一緒に台所に立ち栗を剥いているのです。何かが大きく変わるような劇的な出来事があったわけじゃない。でも、確かに変わっている。そんなことを改めて感じます。 

 私たちの人生って、そんなにドラマチックなことが起こるわけじゃないです。しかし、様々な経験を重ね、時間を重ねゆっくりと、でも淀みなく私たちは変化し続けている。「私を含め、変わらないものはないんだなぁ」と、昨日おなか一杯食べた栗ご飯の味を思い出しながら、感じることです。

※前回のうどんの反省を全く生かせず、完成品の栗ご飯の写真はございません!こういったところはなかなか変わらない私でした…反省。

 

-日日慶念寺(ブログ)