11月の法語 自分を見つめるのはしんどい「ながめる」くらいでいいよ

 11月の法語は

です。

 私自身、実はこの言葉多用しておりました。お取次ぎ(浄土真宗では法話のことをお取次ぎと言います。詳しくはコチラ)の時など、に

「改めて自分を見つめてみると…」

とよく言っておりました。しかし、お話をしていてどうにもしんどい。なんだかつらいんです。なぜか。「自分をみつめる」と精神力や体力を消耗します。そして何より、「こうしなければいけない」「ああしなければいけない」「こんなことではだめだ」というような思いがわいてきます。

 しかし、私がしたいのはそんな疲れるお話じゃないんです。お寺は安心できる場所。気が楽になる場所でありたい。「こうしなければならない」という場ではなく「こうありたい」と思える場所でありたいのです。

ちょっとややこしくなってしまいました。

 そこで、ふと気づいたんです。

「私は大変な労力を皆様にかけさせていたのではなかろうか」

それに気づいたからこそ、私は「自分をながめる」という言葉を使うようになりました。でもこれ、自分で考えたんじゃないんです。どこかで目にしたもの。それを自分の自分の中で消化したものが今月の法語です。

 ふとした時、何か問題に直面した時。そんな時には自分自身を眺めてみてほしいんです。「あぁ、こんなところがあったなぁ」とか「これは良かったなぁ」など、肩の力を抜いて自分自身を眺めてみることで見えてくるものもあるのかもしれません。

 私自身、時々自分をながめながら生活をしております。

11月の法話会は14日(土)14時より
宗祖報恩講ならびに報恩講法要を勤修いたします。

こちらの画像からYouTubeにとべます

-掲示伝道, 日日慶念寺(ブログ)