慶念寺の御本尊
現在の慶念寺の御本尊は、令和5年11月に改めてお迎えした御本尊です。
慶念寺の宗教法人化に伴い、浄土真宗本願寺派と包括関係を結ぶにあたり、開所当時の御本尊では宗派の定める基準に適合しないことがわかりました。
それに際し、改めて三重のお寺より阿弥陀如来立像をお迎えいたしました。
しかし、お迎えした当初は全体の傾きや腕の欠損、台座のゆがみや彩色の剥落なども多数見られ、現状のままご安置することは出来ませんでした。
お迎えした御本尊を、製作当初のおすがたに
その思いから、御懇念を募りましたところ、多くの方からの御芳志を賜り完全修復をすることが出来ました。
御本尊の由緒
修復にわたり、京都にある仏師さんの工房で一度御本尊を解体したところ、寄木造りの胎内に文章を確認することが出来ました。
御本体には、この御本尊が作製される際に書かれたと思われる文章が直接書き込まれており、正保3年(1646年)三代目将軍の徳川家光の時代に作製されたことがわかります。
また、他には阿弥陀如来をあらわす梵字、経文「重誓偈」、お名号、そして由緒が書き込まれておりました。
文章には徳川将軍家の三河の菩提寺である「三河額田郡成道山大樹寺」から、子院「西谷善楊院」の三代目賲譽山哲に下付されたものであることがわかります。
胎内にのこされた巻物も、厳重に保護のための紙が巻かれており、かなり奇麗な状態で保管をされておりました。
この文章からは、大樹寺から善楊院へ御本尊が下付された3年後の慶安2年(1649年)に、城寶寺の当時の住職が隠居寺を開くにあたって譲り受けたであろうことがわかります。
こちらの文章からは、善楊院の住持・城寶寺の法嗣・そして、城寶寺の住持であり萬松寺の開山である僧侶の名前が確認できます。
それが巡り巡って三重の浄土真宗本願寺派の寺院にうつり、そして今慶念寺の御本尊としてお迎えすることとなったのです。
御本尊の作りは、寄木造りでお顔には玉眼が嵌入されています。
今までの御本尊
左の御本尊様は、慶念寺の開所当時からずっとともにいらしてくださった御本尊様です。
こちらは、長崎の雲仙市にある光西寺さまよりお譲りいただいた御本尊で、由緒ははっきりとわかりませんが、慶念寺の開所当時からの苦労を共にしてくださった御本尊様です。
こちらの御本尊様は、現在お休み頂いておりますが、またいつか、皆様にお参りいただけるように場を整えたいと考えております。