念珠・あれば式章を用意しましょう。
基本的には浄土真宗の場合、六文銭や杖・わらじなどの「死に装束」の準備は必要ありません。また、足袋を左右逆に履かせることもありません。必要なのは念珠・あれば式章です。
これは、そもそも何のために用意をするのか。ということを考えれば、実はわかりやすいことです。
①杖やわらじ、脚絆などの死に装束はなぜいらない?
死に装束のほとんどが、道中の安全のための旅支度です。ですから、阿弥陀様のおはたらきにおまかせをしたのならば、阿弥陀様がお浄土へと連れて帰ってくださるのですから、阿弥陀様におまかせいたしましょう。
また、足袋を逆にしたり、着物を左前にしたりなど左右逆にすることもありません。これは、理由が諸説あるようなので、ここで、詳しくは申し上げません。しかし、申し上げるのであれば、仏教では生と死を真逆には見ません。私のいのちの有り様なのですから。ことさらに死を否定し、自分と対極に位置づけようとすることによって、自らのいのちの行き先、それだけでなく自らのいのちそのものや、亡き方のいのちを否定することにつながりかねません。ですから、故人が気に入っていた服を着せたり、白い着物を着せるにしても、通常と同じように着せて差し上げてください。
②六文銭などのお金はなぜいらない?
死出の旅路の駄賃のよう思われますが、浄土真宗の御本尊である阿弥陀様は、「必ず救う。我にまかせよ」と私たちがそっぽ向いているときからはたらき通しにはたらき続けてくださっています。ですので、阿弥陀様に出遇い、そのおはたらきにおまかせしたのであれば、阿弥陀様のおはたらきによってお浄土へと生まれさせていただき、仏様とならせていただけるのです。ですので、そもそも使い道がありません。
③お念珠と式章はできるだけ用意しましょう。
お念珠も式章も、浄土真宗本願寺派では仏様をお参りするときの正装です。浄土真宗では葬儀の時に仏弟子の名乗りとして、法名をいただきます。ですので、阿弥陀様のお浄土へ生まれさせていただくのですから、納棺の際は合掌をした手にお念珠を。できれば肩には式章をかけて差し上げてください。もちろん、故人の使っていたものを遺族の方が受け継いでいきたいということもあるかもしれません。その際は棺の上にのせておいていただいてもいいかと思います。ただ、これに関しては、縁のあるお寺とよく相談して決めてください。
まとめ
なんとなくやっている、葬儀の準備や風習の中には、理由を調べると故人に対して失礼なことも多くあります。今回の旅支度やお金などはそれほどではありませんが、やはり故人を「死の世界で迷っている。苦しんでいる」としてしまっていると言えるのではないでしょうか。他にも「故人の未練がなくなるよう、ご飯茶碗などを割る」火葬場から還るときに「ついてこられないよう道を変える」など。言葉にして考えてみると、違和感を感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
その中の最たるものが清め塩です。これは、死を「ケガレ」とみる、日本古来の考え方が元にあります。清め塩を使うと言うことは、亡くなった方をケガレと見なしていることに他ならないのです。
もちろん、上に述べたことをやっている方を否定するわけではありません。
自分が浄土真宗で葬儀をする際に気にしていただければと思います。「浄土真宗はやってはいけないことがたくさんある」と言われますが、そうではありません。浄土真宗の考え方では「やってはいけない」ではなく、「そもそもやる必要がない」のです。