A4,葬儀の時に行わなければならないこと、行ってはいけないことはありますか?

清め塩は必要ありません

代表例として清め塩を上げましたが、こちらも「Q3,葬儀の時に使ってはいけない言葉はありますか?」と同様で、行ってはならないというよりも行う必要がないことです。
ただ、今回に限って申し上げると、清め塩は死をケガレとみる考えがもとになっているので、仏教の教えにはそぐいません。
当たり前に行うからと言って、亡き方をケガレ扱いしてしまうのは悲しいことのように思います。

行わなければならないことはありませんが「こうした方がいい」ことを、今回はご紹介いたします。

お通夜は亡き方との最期の夜

お通夜は、文字通り近親者や親しい知人が、御本尊の前のご遺体のそばに集い「夜を通して」故人をしのび、仏様の救いを味わう法事です。
しかし、昨今では参列者に挨拶をすることに重心が置かれすぎているきらいがあります。
お経本をお配りしてお勤めをしていても、参列者のお焼香が始まると、ご遺族の方はお経本を閉じて参列者に返礼をしていることもしばしばです。
しかし、故人と仏様に背を向けて挨拶をしているというのはどうにも本末転倒のような気がいたします。
お通夜は故人との最後の会話の場です。事前にお断りのアナウンスをしてでも、心しずかにお通夜のお参りをなさっていただきたいのです。
そして、一通り終わった時にご挨拶をしていただければと思います。

また、参列をする際も同様です。お焼香をしたら、そのままお斎の席に向かい、食事をしたら帰ってしまうのではなく、お焼香の後も席に着き、お参りをしていただければと思います。
場所によっては、会場とお斎の席がそれほど離れていなく、お通夜の最中もずっとザワザワとしていることがあります。そういった点もご配慮いただければと思います。

家族葬にする際は親しい方への配慮をこころがけましょう

家族葬は、近親者のみで行う葬儀で、静かにおこなうことができます。私自身、家族葬自体は否定するようなものでは決してないと思います。しかし、家族葬をする際には、一般的な葬儀をするよりも、様々な配慮が必要になります。
家族葬という名前がついているだけで、意図していなくても家族とその他の人に線引きをしてしまうことになります。場合によっては「呼ばれた・呼ばれていない」でもめてしまうこともあるようです。
ですので、近親者のみで行うにしても、声をかけなかった親族にもきちんとその旨を伝えるなどの配慮が必要になるでしょう。
また、故人と普段親交があった方をはじき出してしまう場合もあります。後ほど別の場を設けるなどの工夫も大切です。意図せずとも、「絶縁宣言」と取られてしまうこともあるようです。
私個人としては、家族葬のような小さな葬儀の形態でも、家族葬と言って範囲を狭めてしまうのではなく、周囲にもお声がけをした方がいいと考えています。
「迷惑をかけたくない」と思う関係よりも、「お互い様、おかげ様」と思える関係を築いていく。そのためにも、家族葬を行う時はどのように行うのか、よく考えましょう。

葬儀は亡き方がその姿をもって教えてくださる いのちの場

葬儀を行う時、私がいつも皆様に申し上げることがあります。それは、「故人様に触れて、声をかけてください」です。
亡き方は、その姿をもって私たちにいのちの有様を教えてくださっています。もちろん触れた肌は冷たく、声をかけても返事はありません。
しかし、その姿から、私たちのいのちの行き先を考えさせていただくのです。
もちろん、葬儀をしなくても触れること、声をかけることはできます。しかし、そこにはいのちの行き先は示されていません。
御本尊様をお迎えし、残されたみんなで、そのいのちの行き先を聞かせていただくのです。
「私が死んだら葬儀はいらない」と仰る方も近年いらっしゃいます。それでは、遺された方が大切な存在との別れを落ち着いてする場が無くなってしまいます。みんなで悲しみを分かち合い、いのちの有様を見つめる時間はとても大切なのです。
亡くなった方のために行うのが葬儀ではありません。残された者たちのために行うのが葬儀の本質なのです。残された者たちから「いのちの場」を奪ってはいけません。

葬儀については、当HPの「お葬儀についての解説」でも書いてあります。そちらもぜひご覧ください。

 

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