御本尊の修復について新たに分かったことと、まだわからないこと

私の京都でのもう1つの目標。

本願寺へのお参りも大切ですが、慶念寺的にはコチラがメインかもしれません。

完全修復に向けて解体した御本尊を、修復を担当してくださる仏師さんに見せていただきました。

写真では確認していたのですが、かなり精巧に作られておりました。

そして、400年近い時を超えて、この御本尊の胎内の文書を実際にこの目で確認するとなんとも感慨深いものがありました。

上の写真は中に収められていた胎内文書を仏師さんに開いてもらっている光景。

開いてみると、外側が和紙で厚めに覆われていたので、胎内文書もかなりきれいな状態で残っておりました。

虫食いも少なく、きれいな字で書かれているので、まずは自分で読めるか挑戦してみました。

大体の内容はわかったのですが、くずし字やうまく書き下せない部分もあり、これから専門的な方に見ていただこうと考えています、

しかし、この文書の中にもお寺の名前が2か寺。人の名前は4人確認できました。

そして、最終的に完成したのは慶安2年(1649年)なのだそうです。374年の時を超えて、この文章が開かれたんですね。

大樹寺から善楊院に下付されたのちに、城寶寺→萬松寺と言う流れでご安置されたことは確認できます。

この萬松寺がわからないので、調べを進めていこうと思います。

そして、御本尊本体。

一度修復された形跡があり、彩色が塗り重ねられていた関係でわかりにくかったのですが、

キレイな玉眼が嵌入(かんにゅう)されていました。

お顔は、このような作りになっていることにまず驚きました。半分にパカって開くのかと思ってた。。。

そして、お体。

破損した部材が、継ぎ足されている部分が確認できたそうです。

しかし、胎内文書の状態などから、しっかりと解体して修復したというより、途中まで解体して修復を行ったのであろうとのことでした。

とりあえず、この度わかったことを少しまとめてみますと、

わかったこと

・作製されたのは正保3年(1646年)から慶安2年(1649年)にかけて
・最終的には渥美郡田原郷の城寶寺から、萬松寺に収められた
・一度修復された痕跡がある。
・美しい玉願が嵌入されている

まだまだ、この胎内文書を解読していくとわかることもあるかと思います。

こちらの胎内文書はまた、修復に合わせて収め直しますが、若林佛具製作所さんでプロのカメラマンに撮影していただいて、印刷したものを額装して残そうと考えております。

動き出した御本尊をお迎えするための修復事業。

これからも、何かがわかり次第、ブログや特設ページにてご報告いたします!

続報をお楽しみに!!

 

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