5月の掲示「あたりまえの大切さに目をむける」

寝違えてしまったのか、右肩がとても痛いここ数日。

何かをしたら痛いというよりも、じんじん痛いのです。何なら、手をブランとしている時が痛い。

早くよくなってくれるといいなぁ。

さてさて、今月の掲示は

「あたりまえの大切さに目をむける」

です。

私たちの日常は、あたりまえに満ちています。

そして、そのことに何の疑問も持たずに生活しています。

私で言うのならば、朝起きてまず本堂でご本尊様にお参りして、朝食を食べて仕事や学校に行く家族を送り出す。

これが、私のあたりまえの日常です。

きっと、「あたりまえ」は人の数だけあるのでしょう。

そしてまた、私のあたりまえの日常の話を

「それが何より大切なんだよ」

と思う方もいらっしゃることだろうと思います。

私たちが思っている以上に、あたりまえというものは移り変わっていきますし、突如として終わりを迎えることもあるのです。

そう。

あたりまえの大切さに気付くのが失ってからでは遅いのです。

今一度、自分の周りにあるあたりまえに目を向けて、その大切さを感じることはとても大事です。

そして、その大切さを感じた時に、本当の意味で「あたりまえ」のことはないという事に気づくことが出来るんです。

そう。掲示板の記事でよく書いていることでありますが、様々な縁が縒り合わさって今の私たちがあります。

1人として同じ人間がいないように、全く同じ因縁により現在がある人など、存在しようがないのです。

そんな私たちが出会い、縁あって今の「あたりまえ」をともに生きている。

これを「有難い」と言わずしてなんと言うのでしょうか。

「あたりまえ」の対義語は「有難い」という事をご存じの方は多くいらっしゃるかと思います。

しかし、対義語だから正反対の場所にあるわけではありません。

私たちの見方が反対なだけなんです。

「あたりまえ」はそのまま「有難い」に展開していくのです。

「あたりまえ」に満ちていた日常は、本当は「有難い」に満ちていた。

「あたりまえ」の日々の中で、時々でいいからその大切さに目を向けて、もう2度とこない「有難い」日々を過ごしていることを感じていきたい。

そう思い、今月の掲示を

「あたりまえの大切さに目をむけよう」

にいたしました。

 

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