四月の法語「まさか」の日々を生きている

 本年度から、掲示板に今月の法語を掲載することにいたしました。毎月考えるのは、今からなかなか気が重いですがお聖教の言葉にとどまらず、私の感じたこと、思ったことやを掲載いたしますので、お近くにお寄りの際は、ぜひ見てみてください。

 また、それに伴い、簡単なお話をこちらのホームページに掲載してまいります。ぜひ、毎月ご覧いただければと存じます。

 今月の法語は

「まさか」の日々を生きている

です。

 「人生には三つの坂があります」なんていう話は、結婚式のスピーチの定番です。(気になる方は検索してみてください)
 私たちは、普段の生活の中でどれだけ「まさか」を意識して生活をしているでしょうか。
 私も先日、大きな「まさか」がありました。本屋でレジを待っているときのことです。首筋に激痛が走り、とっさにふり返ってもだれもいません。奇妙に思い方に目をやると、大きな蜂が止まっていたのです。その時は大事には至りませんでしたが、今思い返しても恐ろしいです。まさか、本屋でレジ待ちをしているときに蜂に刺されるとは思わないでしょう。

 少し特殊な状況で説明いたしましたが、私におこった「ドラマチック」なまさかの出来事です。
 しかし、よくよく考えてみると、人生はまさかの連続どころか「まさか」しか起こりえないのです。私たちは予定調和の中で生活しているのではありません。それぞれが、それぞれの縁の中で日々を過ごしているのです。上り坂に思えても、下り坂に思えても、本当は「まさか」でしかないのが私たちの日々なのです。複雑なご縁が重なり合い今の私がある。「子どものころは、まさかこんな風に生活をしているなんて思ってもみなかった」と少なからず感じることがあるのではないでしょうか。

 現在、私達の生活は大きな転換点に立たされているように思います。「まさか」の中で生きていると感じながら過ごすだけで、私達のふるまいというものは大きく変わるのではないでしょうか。

「まさか」まだ、私が病気になるはずがない。
「まさか」まだ、私が死ぬはずがない。

そういった思いから、私にはどのような「まさか」が起こってもおかしくはない。そう改めることで、日々の生活をより丁寧に過ごしていくことができるのではないでしょうか。

-掲示伝道, 日日慶念寺(ブログ)