8月の掲示「『何のために生きるのか』のこたえはまいにちちがっててもいいわよね

今月の掲示は、

「『何のために生きるのか』はまいにちちがっててもいいわよね」

です。

この言葉は、ヨシタケシンスケさんの『メメンとモリ』という本のセリフから引用いたしました。

「何のために生まれて・・・」という非常に有名な歌詞があります。あの歌詞も大好きなのですが、この本のセリフに衝撃を受けたので、

今月の掲示は急遽この言葉に変更。

是非、この本は手に多く方に手に取っていただきたい本です。

大げさではなく5分で読み終われます。

でも、何度だって読みたくなるし、読むたびに心が軽くなるような本です。

仏教に生きるものとして、

「いのちの目的地はどこですか?」

と聞かれたならば、迷いなく

「阿弥陀様のお浄土に生まれて仏様となることです」

と答えます。私のいのちの行き先は、間違いの無い阿弥陀様のお救いの中にあります。

しかし、今を生きる私たちは「仏様になるために生きているか?」と聞かれると、それだけではないのが現実ではないでしょうか。

阿弥陀様も、仏様になるために生きることのできない私達だからこそ、先回りしてそのおはたらきで包んでくださっているんです。

だから私達は、阿弥陀様がしっかりと目的地を定めてくださっているからこそ、本当の意味で「何のために生きるのか」を考えていくことが出来る。

しかし、これが難しいんです。

1人のひととして、職場や学校などの社会環境の中で、家族や親しい方との人間関係の中で、生きているうえで

「何のために生きるのか」

この問いに、バシッと1つの答えを出すことは容易ではありません。

私にはできません。

でも、その時によっていくつもこたえが用意できるのであれば、沢山のこたえが出せるのではないでしょうか。

私の場合。

1人の人間としては、多くの方と良いかかわりを持つために

僧侶としては、沢山の方と「慶念寺」という皆様がホッと一息つける環境を作り上げていくために

家族の中の1人としては、子ども達を大切に育てていくために

生きている。そう思っています。

「何のために生きるのか」

それは、あちらを立てればこちらが立たない

そんな問いではないと『メメンとモリ』で気づかせてもらいました。

そう。私達は1人の人間ですが、人間の心というものは移ろい変わり続けるものです。

その私がどうしてたった1つだけ「何のために生きるのか」を決めることが出来るでしょうか。

いいんです。移ろって。

うつろってうつろって、生ききった先には阿弥陀如来の浄土がある。

迷ったままの人生かもしれません。

でも、その迷いを引き受けてくださるはたらきがあるんです。

だから、安心して迷える。肩の力を抜いて、生きていくことが出来るんです。

阿弥陀様がいてくださって良かった。「何のために生きるのか」が毎日違ってもいていいんだ。

あらためてそう味わわせていただき、今月の掲示を

「『何のために生きるのか』はまいにちちがっててもいいわよね」

にいたしました。

 

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