今月の掲示は、
「『何のために生きるのか』はまいにちちがっててもいいわよね」
です。
この言葉は、ヨシタケシンスケさんの『メメンとモリ』という本のセリフから引用いたしました。
「何のために生まれて・・・」という非常に有名な歌詞があります。あの歌詞も大好きなのですが、この本のセリフに衝撃を受けたので、
今月の掲示は急遽この言葉に変更。
是非、この本は手に多く方に手に取っていただきたい本です。
大げさではなく5分で読み終われます。
でも、何度だって読みたくなるし、読むたびに心が軽くなるような本です。
仏教に生きるものとして、
「いのちの目的地はどこですか?」
と聞かれたならば、迷いなく
「阿弥陀様のお浄土に生まれて仏様となることです」
と答えます。私のいのちの行き先は、間違いの無い阿弥陀様のお救いの中にあります。
しかし、今を生きる私たちは「仏様になるために生きているか?」と聞かれると、それだけではないのが現実ではないでしょうか。
阿弥陀様も、仏様になるために生きることのできない私達だからこそ、先回りしてそのおはたらきで包んでくださっているんです。
だから私達は、阿弥陀様がしっかりと目的地を定めてくださっているからこそ、本当の意味で「何のために生きるのか」を考えていくことが出来る。
しかし、これが難しいんです。
1人のひととして、職場や学校などの社会環境の中で、家族や親しい方との人間関係の中で、生きているうえで
「何のために生きるのか」
この問いに、バシッと1つの答えを出すことは容易ではありません。
私にはできません。
でも、その時によっていくつもこたえが用意できるのであれば、沢山のこたえが出せるのではないでしょうか。
私の場合。
1人の人間としては、多くの方と良いかかわりを持つために
僧侶としては、沢山の方と「慶念寺」という皆様がホッと一息つける環境を作り上げていくために
家族の中の1人としては、子ども達を大切に育てていくために
生きている。そう思っています。
「何のために生きるのか」
それは、あちらを立てればこちらが立たない
そんな問いではないと『メメンとモリ』で気づかせてもらいました。
そう。私達は1人の人間ですが、人間の心というものは移ろい変わり続けるものです。
その私がどうしてたった1つだけ「何のために生きるのか」を決めることが出来るでしょうか。
いいんです。移ろって。
うつろってうつろって、生ききった先には阿弥陀如来の浄土がある。
迷ったままの人生かもしれません。
でも、その迷いを引き受けてくださるはたらきがあるんです。
だから、安心して迷える。肩の力を抜いて、生きていくことが出来るんです。
阿弥陀様がいてくださって良かった。「何のために生きるのか」が毎日違ってもいていいんだ。
あらためてそう味わわせていただき、今月の掲示を
「『何のために生きるのか』はまいにちちがっててもいいわよね」
にいたしました。
6月の法話会
6月18日(日)14時より
定例法話会を行いました!
オンライン配信も下の画像からもお参りできます。ぜひお参りくださいませ。慶念寺の法話会はどなたでもお参りいただけます。
御講師に、広島県徳行寺の三ヶ本義唯先生をお招きしています!!
ただし、参拝いただいた方が中心になるため、配信の形式は変更しております。
法話会の動画はアーカイブされますので、後日でも改めてお参りいただけます。是非お時間がある時にリラックスしながらお聴聞ください。
オンライン法話会
これまでの法話会。メニューのオンライン法話会から、お参りいただけます。時間がなかったという方。ぜひお手すきの時にでもお参りください。
ご法事やお葬儀のご相談はお気軽に
慶念寺とゆかりがない方でも、ご法事やお葬儀のご相談はお気軽になさってください。
「火葬だけしたんだけどやっぱりお経をあげて欲しい」「派遣でお坊さん呼んだんだけど、以降連絡が出来ない」
そんなご相談も承ります。もちろん、その他のご相談もお気軽にお尋ねください。相談のみでも大丈夫です。
できる限り丁寧に対応いたします。
の問い合わせフォームからでも結構ですし、お電話でのご相談も承ります。直接いらっしゃる場合は一度ご連絡ください。
些細なことなどありません。気になることは気兼ねなくお尋ねくださいませ。