梅雨も明けて、暑い日が続いていますね。
皆様、体調を崩していらっしゃらないでしょうか?
ちなみに私は連日オリンピックの観戦で寝不足気味です。
さて、今月の掲示は
お父さんは お父さんの知ってることなら 何でも知ってるよ
です。
これは、娘のなぜなぜ期(質問期)のころから私がずっと言っている言葉です。
すごく単純で、至極当然のことを言っている言葉ですが、自分への戒めとしてもこの言葉を多用しています。
「何でも知ってる」ではなく「お父さんの知ってることなら何でも知ってる」
子どもから質問攻めにされると、だんだん答えるのが億劫になってきて、いい加減なことを言ったり、知ったかぶりをしたりしたくなることがあります。
でも、それじゃあ子どもの為にも、自分の為にもよくない。
だから、本当にわからないことを聞かれたときは、上の言葉を言った後に
と答えるようにします。そして、一緒に調べてみたり考えてみたりするのです。
知らないことを「知らない」と言えることは、とても重要なことだと思います。
知らないこと、わからないことは恥ずかしいことではないのです。
しかし、大人になると何とか取り繕いたくなる気持ちが頭をもたげます。
そして、本で読んだことやどこかで聞いたことをさも知っているかのようにふるまってしまう自分がいるのです。
わかっている(?)でいるうちは特に問題はありません。
ただ、わかっている「つもり」だったことに気づくのは、何かしらの問題に行き当たった時なのです。
「つもり」でいるときは、どうしたって答えは出せません。
普段の生活の上での事ならば、改めて調べなおすこともできるでしょう。
しかし、自分ではどうしようもない問題に直面した時、簡単に答えは出せません。
これから直面する問題として、「老いていくこと」「病になること」そして「命を終えていくこと」が間違いなくあります。
それは、自分自身だけではなく大切な誰かかもしれません。
そういった状態に陥ったとき、自分の心をどう収めていくのか。
その答えを持ち合わせている人は多くありません。
だからこそ、それを説いている宗教に自らの「いのち」という本質的な問題を問うていくことが大切なのではないでしょうか。
私は私の知っていることしか知らない。
当然の言葉のようですが、わかったつもりになっている自分に目を向けてみると、意外と知らないことのほうが多いのです。
理解できることはそう多くないかもしれません。
しかし、信頼できるお医者さんに出会えれば安心して老いや病と向き合えるように、
安心できる宗教に出遇えた時、「いのち」の問題に向き合える。
知らない自分に目を向けよう。
そう思い、今月の掲示を
「お父さんは お父さんの知ってることなら 何でも知ってるよ」
にいたしました。
8月の法話会
8月18日(日)14時から
慶念寺「旧暦お盆の法要」を行います!
過去帖・法名軸・お位牌などをお持ちいただきましたら尊前にご安置してお参りいたします。
手ぶらで大丈夫です。お念珠、式章をお持ちの方は、ぜひご持参ください。
第16回公開講座を開催いたします
8月5日(月)14時から多摩市民館4階、第一会議室にて第16回慶念寺公開講座「歎異抄から学ぶ」を開催いたします。詳細は下記バナーからご覧ください。
https://kyounenji.com/16thkoukaikouzamoushikomi/
オンライン法話会
これまでの法話会。メニューのオンライン法話会から、お参りいただけます。時間がなかったという方。ぜひお手すきの時にでもお参りください。
ご法事やお葬儀のご相談はお気軽に
慶念寺とゆかりがない方でも、ご法事やお葬儀のご相談はお気軽になさってください。
「火葬だけしたんだけどやっぱりお経をあげて欲しい」「派遣でお坊さん呼んだんだけど、以降連絡が出来ない」
そんなご相談も承ります。もちろん、その他のご相談もお気軽にお尋ねください。相談のみでも大丈夫です。
できる限り丁寧に対応いたします。
の問い合わせフォームからでも結構ですし、お電話でのご相談も承ります。直接いらっしゃる場合は一度ご連絡ください。