8月の掲示「お父さんは お父さんの知ってることなら 何でも知ってるよ」

梅雨も明けて、暑い日が続いていますね。

皆様、体調を崩していらっしゃらないでしょうか?

ちなみに私は連日オリンピックの観戦で寝不足気味です。

さて、今月の掲示は

お父さんは お父さんの知ってることなら 何でも知ってるよ

です。

これは、娘のなぜなぜ期(質問期)のころから私がずっと言っている言葉です。

すごく単純で、至極当然のことを言っている言葉ですが、自分への戒めとしてもこの言葉を多用しています。

「何でも知ってる」ではなく「お父さんの知ってることなら何でも知ってる」

子どもから質問攻めにされると、だんだん答えるのが億劫になってきて、いい加減なことを言ったり、知ったかぶりをしたりしたくなることがあります。

でも、それじゃあ子どもの為にも、自分の為にもよくない。

だから、本当にわからないことを聞かれたときは、上の言葉を言った後に

だけど、お父さんの知らないことは何にも知らないんだ

と答えるようにします。そして、一緒に調べてみたり考えてみたりするのです。

知らないことを「知らない」と言えることは、とても重要なことだと思います。

知らないこと、わからないことは恥ずかしいことではないのです。

しかし、大人になると何とか取り繕いたくなる気持ちが頭をもたげます。

そして、本で読んだことやどこかで聞いたことをさも知っているかのようにふるまってしまう自分がいるのです。

わかっている(?)でいるうちは特に問題はありません。

ただ、わかっている「つもり」だったことに気づくのは、何かしらの問題に行き当たった時なのです。

「つもり」でいるときは、どうしたって答えは出せません。

普段の生活の上での事ならば、改めて調べなおすこともできるでしょう。

しかし、自分ではどうしようもない問題に直面した時、簡単に答えは出せません。

これから直面する問題として、「老いていくこと」「病になること」そして「命を終えていくこと」が間違いなくあります。

それは、自分自身だけではなく大切な誰かかもしれません。

そういった状態に陥ったとき、自分の心をどう収めていくのか。

その答えを持ち合わせている人は多くありません。

だからこそ、それを説いている宗教に自らの「いのち」という本質的な問題を問うていくことが大切なのではないでしょうか。

私は私の知っていることしか知らない。

当然の言葉のようですが、わかったつもりになっている自分に目を向けてみると、意外と知らないことのほうが多いのです。

理解できることはそう多くないかもしれません。

しかし、信頼できるお医者さんに出会えれば安心して老いや病と向き合えるように、

安心できる宗教に出遇えた時、「いのち」の問題に向き合える。

知らない自分に目を向けよう。

そう思い、今月の掲示を

「お父さんは お父さんの知ってることなら 何でも知ってるよ」

にいたしました。

 

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