8月の法語 世の中安穏なれ仏法ひろまれ

8月の法語は

世の中安穏なれ仏法ひろまれ

です。

 これは、浄土真宗の宗祖親鸞聖人のお手紙の中に記されている一文です。

往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。 わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こころにいれて申して、 世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは、別の御はからひあるべしとはおぼえず候ふ。

『親鸞聖人消息』第25通

浄土に往生できるかどうか不安なひとは、まず自らの浄土往生をお考えになって、念仏するのがよいでしょう。 自らの往生は間違いないと思う人は、仏のご恩を心に思い、それに報いるために心を込めて念仏し、世の中が安穏であるように、 仏法が広まるようにと思われるのがよいと思います。よくお考えになってください。この他に、特に何か考えなければならないことがあるとは思いません。

浄土真宗聖典『親鸞聖人御消息 恵信尼消息』(現代語版) 本願寺出版社

 新型コロナウイルスも、一時は収束傾向にあるかと思いきや感染者数も増えてきて、まだまだ予断を許さない状況が続いております。単純な感染者数の推移だけで一喜一憂するのではなく重傷者の数や陽性率など様々な情報を基にした冷静な行動が私達にも求められます。

 政府がGOTOキャンペーンを行っておりますが、中々手放しで喜べるような状況でもなくなってしまいました。私も、家族でどこかへ行こうかと考えていたので残念でなりません。

 そんな中で、とある有名人の「旅行中に取材なんて受けない方がいい」といった趣旨の発言が目に留まりました。これに関して考えてみると、確かに今までであれば、夏に旅行を楽しむほほえましい光景のはずが、自粛をせずに旅行をする非常識な行動に見てしまう私がおりました。

 世の中安穏なれの「安穏」という言葉は、古いインドの言葉で平和を意味する言葉の訳語でもあるそうです。安穏と聞いても想像は難しいですが、平和と聞くと何となく想像がつきます。

 しかし、私にとって平和とは何か。ということをあまり考えておりませんでした。そんな中でカレン・オルセンさんという方が小中学生の子どもたちと対談している記事を見つけました。

その記事の中で、「平和の反対は何ですか」という質問に対してカレンさんは

平和に対する言葉というのは非常にたくさんあると思います。平和というのは単に戦争のない状態を意味するのではないからです。挙げるとするならば飢餓、貧困、無知、暴力、残虐性などです。

 戦争に勝利者はいない。すべての人が敗者なのです。平和がなければ私たちは生きることができません。動物も植物もなければ平和ではないということです。

週刊金曜日438号

と仰っています。そう考えると現在の状況は平和とはとてもいいがたい状況なのだと感じました。

 私はこの新型コロナウイルスの状況下において、気づけば平和とは真逆の方向に考えを進めてしまう自分自身のすがたを知らされました。

 お釈迦様は人間の区の原因を「我執」という人間の自己中心性であると説かれています。そこから自分自身を知らず(愚癡)自己の欲望を貪り(貪欲)自分の思い通りにならないことに怒り(瞋恚)他者を責めるのです。

 親鸞聖人の御消息に「世の中安穏なれ仏法ひろまれ」とあるのは、人間の我執による愚かさを本当の意味で知らされるには仏法に遇う必要があるからです。

 どこか殺伐とした雰囲気が漂う今日この頃ではありますが、こういった時だからこそ阿弥陀様のおはたらきをよろこび、ふとした拍子に怒り・妬む自らの有様を見つめ、ともにお念仏をよろこぶ日々をおくりたいと思います。

-掲示伝道, 日日慶念寺(ブログ)