東久留米会館の主管である富永さんより、お取次ぎの用のの写真が届きました。このような形でお話をさせていただきました。
さて、昨日の投稿などでも「お取次ぎ」とさらっと書いておりましたが、「お取次ぎ」ってよく考えてみますと、浄土真宗ならではの言い回しなんです。ですから、ご覧の皆様の中には
「お取次ぎって、なんのことだよ。話したでいいじゃないか」
と思った方もいらっしゃるかもしれません。
ですので、今日はお取次ぎという言葉についてお話いたします。
浄土真宗の一つの特徴として、法話のことをお取次ぎとも申します。親鸞聖人が明らかにしてくださった、阿弥陀如来のお救い、お念仏の御教えを「私の言葉を用いて取り次がせていただく」ということです。これは、話者の研究発表ではなく、話者もまたお救いを一緒に聞かせていただいているということです。
ですから、法話のことをお取次ぎというのです。
私の恩師はよくこう言っていました
「法話はお取次ぎですから。うまくいかなかったら私の取次のせい。うまくいったら阿弥陀様のおかげです。私の手柄なんてないんですよ」
これは、法話がうまくいくとすぐに調子に乗ってしまう私にとって、とても大切な言葉です。
しっかりとお取次ぎができるように、研鑽していきます。
[…] 方はこちらをご覧ください)写真は、残念ながらございません!撮り忘れてしまいました! […]
[…] 法話のことをお取次ぎと言います。詳しくはコチラ)の時など、に […]
[…] (お取次ぎって何?という方はコチラ) […]