6月の掲示「ドーナツの穴 ある?ない?」

さあ、6月が始まりました。

6月も公開講座や市の仏教会の総会など何やらやることが多くってワタワタしております。

さて、今月の掲示は

「ドーナツの穴 ある?ない?」

です。子どもたちにも考えられるように簡単に書いたので、ちょっと意図していることが分かりにくいかもしれません。

「ドーナツの穴は存在か、それとも無か」

と言ったら考えやすいかもしれません。

ドーナツ化現象なんて言い方をするので、穴の開いた輪状のものを想像していただけるかと思います。

しかし、穴自体はドーナツを定義づける条件ではありません。

穴のないドーナツもあります。では、穴の開いているドーナツの穴は「無」なのか。

と言われると、いかがでしょうか。やはり私たちはドーナツに空いた穴を認識しているのです。

では、ドーナツの穴は存在しているのか。

しかし、手に取って触れるわけではありません。

穴だけを取り出すことはできないんです。

ドーナツの穴はあるのか。それともないのか。

これは哲学的思考の入り口になる問なのだそうです。

ここでドーナツと穴の関係を考えてい見ると、ドーナツが「存在」し初めて私たちはドーナツの穴を「認識」するんです。

しかし、一口食べて輪ではなくなってしまったらそこに穴は認識できなくなる。もちろんあったことは確認していますが、もうそこに穴を認識することはありません。

これ、言葉遊びや思考の運動で終わってしまえば確かに頭の体操のようなもので、追及していけば哲学的な思考なのかもしれません。

しかし、これを仏教で考えてみたらどうなるか。

それは「ドーナツも穴も互いに影響を与え合って存在している」

穴があるから輪状のドーナツがあり、輪状のドーナツがあるから穴がある。

ということができるのではないでしょうか。

私たちの認識できる世界には、独立して単体で存在するものはありません。

不変の実体をもつものはないのです。

私という存在もまた、様々な因縁によってつど姿かたち、見え方が変化していきます。

普段一緒に生活している家族が、お仕事中は全然違う人に見えることもありますし、逆もまたしかりです。

一定期間を経て変化していくのではなく常に変化を続けているのです。

お坊さんとしてふるまっている私と、家族と一緒にいる私は、同じ私ですが全然違った私なんです。

そして、沢山のご縁を経て今の自分がある。

沢山のおかげさまで今があるんです。

ドーナツがドーナツの穴を穴たらしめているように、

沢山のご縁が私を私たらしめている。

今まであった沢山の出会い、別れ。

嫌な思い出も良い思い出も、沢山のことが「今」作り上げてくれているのです。

じゃあ、「変わらぬ実体がないなら私という存在はからっぽか?」というと、決してそんなことはないです。

沢山のご縁に支えられて「今」があり、沢山のご縁に支えられた「これから」があるんです。

「おかげさまで有難い今がある」ドーナツの穴を眺めながらそんなことを思い、今月の掲示を

「ドーナツの穴 ある?ない?」

にいたしました。

 

他のブログも見る

6月の法話会

6月16日(日)14時より

定例法話会を行います!

普段着で、手ぶらで、どうぞお参りくださいませ!

終活の公開講座を行います

今月6月21日(金)14時から

多摩市民館第1会議室にて、

慶念寺終活公開講座「未来あんしんサポートノートを書いてみよう」を行います。

お申し込みは、下のリンク先にある申し込みフォームよりお願いいたします。

オンライン法話会

これまでの法話会。メニューのオンライン法話会から、お参りいただけます。時間がなかったという方。ぜひお手すきの時にでもお参りください。

ご法事やお葬儀のご相談はお気軽に

慶念寺とゆかりがない方でも、ご法事やお葬儀のご相談はお気軽になさってください。

「火葬だけしたんだけどやっぱりお経をあげて欲しい」「派遣でお坊さん呼んだんだけど、以降連絡が出来ない」

そんなご相談も承ります。もちろん、その他のご相談もお気軽にお尋ねください。相談のみでも大丈夫です。

できる限り丁寧に対応いたします。

「各種ご法事について」

「お葬儀について」

の問い合わせフォームからでも結構ですし、お電話でのご相談も承ります。直接いらっしゃる場合は一度ご連絡ください。

-掲示伝道, 日日慶念寺(ブログ)