5月の法語 道に咲く花の色 陽の光のあたたかさ あらためて感じる今日この頃

 前回の更新の際に、さも毎月更新するかのように見せかけておいて、こんなにも更新が遅くなり申し訳ございません。これからはもう少し、まめに更新してまいります。

さて、5月の法語ですが

道に咲く花の色
陽の光のあたたかさ
あらためて感じる今日この頃

でした。

 私には、3歳になる娘と6ヶ月の息子がいます。娘は保育園に通っているのですが、四月の頭から新型コロナウイルス感染拡大防止のため、育休中の親がいる家庭は緊急事態宣言が解除されるまで登園を自粛することになりました。
 最初はいつもの休日のように毎日過ごしていたのですが、毎日ともなってくると、親も子も家で過ごすのがだんだん精神的にも肉体的にも辛くなってきました。娘も精神的に不安定になり、私達も日によっては叱り通しで罪悪感にさいなまれることもしばしばでした。
 なので、ある日から午前中はできる限り私が娘を外に散歩に連れ出すことにしました。

なぜならば、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、法事や法話会が軒並み中止になってしまい、私は大変暇になってしまったのです。じゃあ、なぜこんなにもHPの更新がないのかというと、仕事がなくても子育てに休みはないからなのです!いいわけですね(汗)

閑話休題

 娘と散歩に出かけると、いつも歩くよりもずっとゆっくりなペースで歩きます。毎日同じ道を通っても飽きてしまうので、家の周りの様々な道を通り畑の間を抜けおしゃべりしながら歩きます。

 娘は道端に花を見つけると「見て、お花!きれいだね」とか「お父さん、かわいいお花が咲いているよ」と私に教えてくれます。それをきいて「そうだね、きれいだね」とか「ほんとだ、かわいいね。なんていうお花だろうね」なんて話しているときに、ふと思ったのです「普段、こんなに道の花に目を向けていただろうか」と。

 そして、四月に入ってだんだんあたたかくなる陽ざしを心地よく感じたのは何年ぶりだろうかとも思いました。
 そして同時に、私は日々の忙しい生活の中で、こんなにも周りが見えなくなってしまっていたのかと実感したのです。

 私たちは目に見えるもの、目に見えないもの様々なものに支えられて、寄り添い合って生きています。しかし、身近にあっても意識しなければ見えなくなってしまうのがこの私なのです。

 今ある状況を劇的に変えることはできません。でも、私達のものの見方を変えることはできます。まだまだ不安な日々が続きますが、私はこのコロナ禍の状況の中で、子どもと触れ合う時間が増えたこと、周りを見る時間的なゆとりが出来たことを有難く感じています。
 

-掲示伝道, 日日慶念寺(ブログ)

© 2021 浄土真宗本願寺派 川崎多摩布教所慶念寺