またまた、娘と月の話。一か月ほど前の出来事になりますが、中秋の名月について書いていて思い出しました。
記事のタイトルと同様の題名のマンガがビッグコミックに掲載されていたこともあります。(こちらは築地本願寺にある中央仏教学院を舞台としたものでした)「月をさす指」は仏教でよく用いられるたとえ話です。
先日の夜、例のごとく娘とお月様探しをしておりました。私の方が先に月を見つけたので娘に
私「あっほら、あそこにお月様がいるよ」
と教えてあげました。しかし
娘「どこー?」
私「あそこにあるじゃん。ほら、お父さん指さしてるからよく見て」
娘「どこー。わかんない!」
と言っています。娘の方を見てみると、娘は一生懸命私の指先を見つめておりました。私は娘の横でしゃがみ、娘の目線に合わせた位置で改めて月を指さしました。それでようやく娘は月を見つけることが出来ました。
そんなやり取りをしながら「月をさす指だなー」と思いました。
『季刊せいてん』という雑誌でこの「月をさす指」について記事が組まれたことがあります。
お釈迦様は入滅される際、弟子たちに、教えの内容を依りどころとし、言葉に依ってはならないと仰いました。
『季刊せいてん』NO.110
教えの内容を依りどころとし、言葉に依らないのは、言葉は教えの内容を表しているのであって、言葉がそのまま教えの内容ではないからです。それをわからずに、言葉だけに依って、教えの内容に依らないのは、人が月を指して教えようとするときに、指ばかりを見て月を見ないようなものなのです。
教えの内容に依らず、言葉に依るとはこれと同じことです。言葉(指)そのものが教えの内容(月)ではないのですから、言葉に依ってはならないのです。
月は「伝えたい内容」指は「伝える手段」です。お釈迦様が阿弥陀様のお救いを指さし、七高僧様が親鸞聖人が先達の方たちが私に月(阿弥陀様のお救い)を指し示してくれています。私は指先にとらわれることなく、しっかりとその指をたよりに歩んでいこう。そう思いました。
もしかしたら、娘とのこのやり取りも。私の目線に合うように差し出された指だったのかもしれません。
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