昨日朝起きた時にまず思ったのは。「もう26年か」ということでした。阪神淡路大震災から昨日で26年。様々な場所で二十七回忌の御法要が勤まったようです。
当時私は小学1年生。正直なところ、テレビをつけると映る光景にまったく実感がわかなかったのをよく覚えています。同じ日本ではない、どこか遠くの世界で起こったこと。それぐらい、日常とは違った光景がテレビには映っておりました。
しかし、そこには確かにその場に生きた方がいて、そして多くの方が亡くなっていました。そのことを理解したのは何年たった後だったのでしょうか。もしかしたら、いや、もしかしなくても本当の意味ではいまだに解っていないのかもしれません。
明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の ふかぬものかは
親鸞聖人が、得度をしようと慈円慈鎮和尚のもとを訪ねた時「もう夜遅くだから、明日にしましょう」と言われた際に詠んだと伝わる歌です。今美しく咲いている桜も、夜中に嵐が来たら散ってしまう。それほどはかない命を私は生きているのだ。だからこそ、このいのちを精一杯おくりたい。
そういった歌です。私のいのちの問題に本当の意味で「また今度」は無いのだ。ということが詠われています。
私は「また今度」「また明日」と物事を先延ばしにすることが多くあります。しかし、私が無為に過ごしてしまった今日は、先だっていった方が、生きていたかった今日。
新型コロナウイルスの不安も続く中、多くの方の中で「いのち」のあり方というものが大きく揺らいでいると感じています。明日も同じ一日が来る。そんなこともう誰にも言うことが出来ません。
だからこそ、仏法に生きる一人の人間として、何が出来、何をしていくのか。決して不安の中で、ただもがいていくということではありません。
不安の中にあったとしても、失意の中にあったとしても、浮かれて浮足立ってしまっている時でも、私を思い、照らしてくださる。阿弥陀様のおはたらきを、ともに味わわせていただくために私の今があるのだな。
改めて、自分の「いのち」というものを考えた尊い一日でした。
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